お散歩途中に、浄土真宗の西本願寺に行ってみました。
西本願寺はイチョウの木で有名ですが、実は、ツツジでも有名なんですよ。
西本願寺の堀川沿いの花屋町通りから七条通りまでツツジで埋め尽くされるんです。
車で堀川通りを通る時は、車窓から見えますので、知ってはいましたが、一度ゆっくり見てみたいと思って寄ってみました。
残念ながら、もう散ってしまっていましたけど((+_+))
せっかくなので、中にも入ってみましたよ。
敷地はとても広々しています。
「唐門」という門があるのですが、昨年に修復が終わったそうで、生き返った様に光輝いていました。

大きく立派な本堂にも入り廊下も歩いてみました。
柱も太く、かなりしっかりした造りですね。
西本願寺は、京都駅から歩いていける範囲です。
お近くに来られた際は、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
西本願寺の近くには、東本願寺があります
西本願寺も東本願寺も宗派は、浄土真宗ですが、
正式な宗派名は、西本願寺は浄土真宗本願寺派、東本願寺は真宗大谷派といいます。
本願寺派は京都の西本願寺が本山で「お西さん」と、
大谷派は京都の東本願寺が本山で「お東さん」とも呼ばれています。
元々、本願寺は一つだったのはご存知でしょうか?
戦国時代に織田信長が今の大阪城の場所にあった石山本願寺を攻めた石山戦争をきっかけに2つに分かれることになりました。
当時の石山本願寺は、室町時代に浄土真宗を再興した蓮如(れんにょ)によって建立された浄土真宗の一大拠点であり、難攻不落の砦でした。
織田信長は、石山本願寺を10年以上攻め続けましたが、降伏させることはできず
当時の正親町天皇(おおぎまちてんのう)を間に入れて和睦を求めました。
その時に本願寺内で信長と和睦するか、徹底的に戦うかで議論が分かれ、この2つの考えによって本願寺内が2派に分かれてしまったのです。
これが本願寺が東と西に分かれるきっかけです。
その後も、対立を繰り返してきましたが、現在は、お互い交流があり、関係は良好のようですよ。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人について
浄土真宗 本願寺派(西本願寺)のホームページに心にささる一文がありました。
今は、心を病んでしまう事が多い時代の様な気がします。
どうか、阿弥陀様の教えが広く広く伝わりますように。
・・・西本願寺 ホームページより・・・
あなたに居場所はありますか。
普段なかなか気づかないことですが、私たちは、家庭や学校、あるいは社会の中で自分を受け入れてくれる「居場所」があるから、頑張ることができていると言えます。
でも、頑張りたくても頑張れないときもありますよね。元気そうに見える人でも、もしかしたら孤独や寂しさにさいなまれて「居場所」を失っているかもしれません。
そんな思いを抱いてしまったとき、どのように生きていけばよいのでしょうか。
親鸞聖人しんらんしょうにん(=親鸞さま)も、自分の居場所に出会うために大変な努力をされた一人です。
そして、その道のりの末に「阿弥陀さま」という仏さまに出会われました。
阿弥陀さまは、出家して修行に励んだり、厳しい規律を守る生活を送ったりすることができない人であっても、どんなに辛いことを抱えている人であっても、
いのちあるものすべてをそのままに受け入れ、すくいに導いてくださることを誓われた仏さまです。
そんな阿弥陀さまに出会われ、阿弥陀さまとともに親鸞さまは仏道を歩まれました。
そして、阿弥陀さまの教えを私たちにわかりやすく伝えるために、浄土真宗という仏教を開かれました。今から約850年前、鎌倉時代のことです。
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唐門は修復され、とても美しく輝いていました
桃山時代の豪華な装飾彫刻が施された檜皮葺き(ひわだぶき)、唐破風(からはふ)の絢爛豪華な四脚門で国宝に指定されています。
その美しさから思わず日が暮れるのを忘れて見とれてしまうことから「日暮らし門」と呼ばれています。
40年ぶりに修復され、2021年に完成しました。
檜皮葺きの屋根をふき替え、門全体の黒塗りを塗り直し、
極彩色の麒麟や唐獅子など107点の彫刻はX線分析で顔料を特定して彩色されたそうです。
職人の卓越した技が光ってますね。

アクセス、参拝料、参拝可能時間
京都駅より徒歩約15分
京都駅より 市バス 西本願寺前下車すぐ
阪急 四条河原町駅より 市バス 島原口下車すぐ
京阪 七条駅より 市バス 七条堀川下車すぐ
参拝可能時間 :5:30開門~17:00閉門
参拝料 : 無料
行く前に知っておきたいこと
京都駅から歩ける範囲の距離ですよ。
参拝は無料です!
本堂にも入れますよ。
少し奥に行くと「唐門」があります。昨年修復されとてもきれいです。
イチョウの木は、庭の真ん中にドーンとそびえています。
次回は、イチョウが黄色く色づいた頃に行ってみたいと思います。

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